兼業Pのカタコト語録

デレマスの、エンタメのことや想いやもやもやを文字にする場所。

『15時17分、パリ行き』の感想を乱雑に、のお話

どうも、青葉飛鳥です。

 今回もまた、『15時17分、パリ行き』のお話。

 

 昨日も同じような記事を書いたんだけけど、こちらのほうがより私の本心に近いというか。

素直な感想になるはずです。

 

あっちは、外面というかある程度体裁を繕った記事。

こちらは、自分のやりたいように書きなぐる記事だと思っていただければ幸いです。

 

あ、当然ながらネタバレありなので。ご了承ください。

 

 

 

 始まってすぐの困惑

 始まってすぐに私達が見ることになるのは、

B級映画によくある、イマイチ画質で何とも言えないあの映像。*1

 

 正直、「あっ。この映画もしかしてやべーやつなのでは」。と思った。

「でもまさかクリント・イーストウッドの映画ではそれはないやろ。」

そう言い聞かせた私を待っていたのは、宣伝とは全く裏腹のノンフィクションムービーだった。*2

 

いや、ノンフィクション+旅行記というべきか

 

 

過去話にも大切な要素がある

 この映画、宣伝映像や予告編なんかだと事件の発生したシーンなんかを多く使っていて。

この映画を観たいと言った人間の多くは、

「サスペンス映画なのかな?」と思うかもしれない。現に私はそう思ってた。

というかあの宣伝とか煽り文句でそう思わないほうがおかしい。

 

 さて、上記のB級風映像のあとに流れてくるのは、主役三人の過去話。

どういう人間だったかとか、どういう思想だったとか。

 

 

ハンデを抱えた人の生き方

 正直、この過去編パートだけでも心にくるところがある。

というのも、主人公のうちの二人はどうもADD(注意欠如障害)があるらしい。

 

 らしいというのは、これが医者の見解ではなく担当の先生の弁であるため。

医者でもない一教師が何を決めつけるんだと思わなくもないけど、

多分あっちの国のほうが日本よりも認知が進んでいるのだろうなぁと。

 

  ともあれ、なんだかんだ学校には溶け込めずにいろいろなミスをする主人公だけど、いろいろなことを経て、彼は人を助けたいと願うようになる。

 

もっとも、*3彼の望んだ形での人助けはできなかったわけだが。

そう、彼は軍隊に入っても落ちこぼれてしまったのだ。

 

とはいえ、学んだことは無駄にはならなかった。

この辺は最後のテロのシーンにもつながってくるいわゆる伏線とも言える場面であるが、出来が悪く馬鹿にされているのを見るのはとてもつらい。

 

 

あまりにも長い観光シーン

 そして、物語は観光シーンへ。

うん、まだ事件は起こらないんだ。この観光の途中で起きるからね。

 

 ヨーロッパの各地をめぐる旅行をしようぜ~、的なノリで旅をしていく三人。

特に大きな出来事は起こらないのだけど、それとなーく不穏な発言をしたり。

自分の意思はどうこうという話がでていたりするので、なんとなく盛り上がっているんだなとは感じられた。

 

けども、後述するけれどこの観光シーンが無駄だったとは思わない。別の楽しみ方もあるしね。

 

その別の楽しみ方というのは、主役の1人のインスタグラムを3年ほど遡ってみることにある。

 

 

テロのシーンは言うことなし

 これは本当に言うことなしなんだよ。

30分くらいずっと観光のシーンを見せられたそのあとだから、

余計に気持ちが引き締まって緊張感が高まるというか。

 

 本当に脈絡無く*4起きるので、

まさに迫真といった感じ。

 

 ココらへんはせっかくなのでシアターで観ていただくとして。

 

 

観光シーンとか必要だった?

 恐らく、多くの人が思うのはこれなんじゃないかなぁと思う。

彼らの人間性や出自を描く過去編やらはともかく、そんな観光シーンに長い尺を割く必要があるのか。

 

あるよ。あるって私は思うよ。

 

 ココらへんは前の記事でも書いたけれど。

今回の映画でクリント・イーストウッドが描きたかったのは、

主人公たちの勇気の他に、”テロの怖さ”なんじゃないかと個人的には思っている。

 

 例えば、日本のテレビで遠い中東なんかでの戦闘の映像を見せられたところで、

そこまで現実感がせず怖くもないと思う。

CODで見た、とか言ってそう。そんなことないか。

 

 でも、テロっていうのはそれこそ国や地域に関係なく起きる。

少なくとも、日本では今回みたいな自動小銃を使った乱射事件なんかは稀かもしれないけど。拳銃や爆弾、薬物なんかのテロはこれから起きる可能性は大いにある。

というか過去に起きてるよね、オウムの一件が。

 

 そんなテロっていうのは、誰でも巻き込まれる可能性がある。

パリ行きに登場した三人でさえ、”たまたま”あの時間の電車に乗り合わせただけなのだから。

 

 監督が長い尺を使って観光シーンを演出したのは、彼らがただの一般人*5であることを強調したかったからではないだろうか。

 

恐らく、本人役として彼らや多くの人を出演させた意図もそこにあるのだと私は思う。

 

 

 

 サスペンスかと思って見に行ったら、始まったのはヒューマンドラマ。そして観光?

そんなあまりに斬新過ぎる映画の根底にあるのは、

事件を食い止めた彼らへの賛辞と、そしてテロへの警鐘だ。

 

まだ1年も4分の一過ぎるかくらいってところで、またとんでもない映画が現れたものである。こわいこわい。

 

さて、次は何をみようかな。クソ映画にしましょうか。

 

*1:パッと見でこれやべーやつだ、とわかるあの画質。伝わって。

*2:いや、全体的にノンフィクションムービーなんだけども。

*3:その事件が起こるまでは

*4:映画では演出の都合上それっぽいことはしてたけど

*5:とは言え軍人だけど