兼業Pのカタコト語録

デレマスの、エンタメのことや想いやもやもやを文字にする場所。

人生26年目に突入したわけだが。自分語りと自己反省するよ。

今回はちょっとした戯言。
適当に指がしゃべるまま書いていこうと思うよ。

 

ポエティックな感じで痛いと思うけど、
それはそれでゆるしてくりゃれよ。

 

1.

 

ハッピーバースデー自分。ついにこの人生も26年目に突入である。

 

その記念に何か書いてみようと久々にはてなブログを開いてみたら、
最後の記事が去年の9月末。日数にしておよそ230日ほど前らしい。

 

あまりに久々すぎて自分のブログのスタイルとか何もかも忘れたから、
今日は自然体でいくよ。

 

ちょうど今の仕事を始める少し前。
もっと言えば仕事探しの少し前までブログ執筆に興じていたことになる。

 

そこから230日。月日が流れるのは早い。
というか、私が月日の流れを気にしすぎないだけなのだけれども。

 

2.

私の人生25年目は何をしていただろう。
仲の良かった相手と決別し、仕事もせずにほっつき歩いて。
最近よく言われる無敵の人に近い状態だった気もする。

 

もっとも、これは今もあんまり変わらない。

守るものがあるわけでもなく、何か大きな目標があるわけでもなく。
細々としたものはあるけれども。


気が付けば25年。アラサーなどとおどけて言っていた。
それが今では30から逆に数えた方が早い、
言い訳が出来ない完全なアラサーになった。

 

3.

別にこれでいいし努力なんてしたくないと思う自分がいる一方、
この状況をどうにかしなければならないという自分がいる。
いわば自分に対してダブルバインドを掛けている状態。

 

人生25年目では「どうにかしなければいけない」
という気持ちが打ち勝ったのか、
非正規ではあるか手に職をつけることが出来た。

幸いになことに今現在もその仕事は続いている。

 

だけどそれもいつまでだろう。
この世のすべては栄枯盛衰を繰り返していて、
たまたま自分がその故と衰の部分に身を浸していたとしたら。

仕事をしているからという免罪符もなくなり、
また長い長い暗闇をさまようことになる。

 

4.

さすがに26年も生きていると、
リアルとネット双方で俗にいう社会不適合者をちらほらと見かける。

人によって度合いは千差万別だけど、
実は私もそこにカテゴライズされる人間だったりする。

 

今までの人生で自分が経験値をあげてこなかったがゆえに、
社会における適正値を下回っているパターンもあるし。
なんなら基礎的な数値が標準に届いていないようなケースもある。

 

例えば私はコミュ障を自称し、人とのコミュニケーションを避ける傾向がある。

けれど職場の先輩は、「それはお前がそういう訓練をしていないだけ」という。

つまりは経験値を積んでこなかった私のミスであるということになる。

ちなみにだけれど、先輩の言い分には納得している。

 

5.

ダブルバインドの話に一部通ずるが、
「自分の想像してた大人ってこんなんじゃないよな…」

と思い焦ることがある。

嘘、訂正。

焦るというよりは、失望や諦め。

自分に対して、「26にもなってお前はそんなんなのか」という評価。

 

私は幸いにも人には恵まれてきたという自覚がある。
友人だったり周りの大人だったり。上司だったり。一部を除くが。

そんな中で、「俺ってこんなんでいいの?」と比較し責める。

 

人は人、自分は自分という大前提を理解していてもそれは重くのしかかってくる。

 

6.

「人生、寄り道しすぎたな。」というのが自己反省として出てくる。
寄り道で何か結果を出せればよかったのだが、実際はただの道草だったりする。

 

メインクエストの途中で立ち寄った町でサブクエストを進めるのならいいが、
ひたすら宿屋でお姉さんにぱふぱふしてもらっているようなものである。

ある程度の満足感はあるが、金も時間もなにもかも減るだけ。

 

とはいえ。浅く広くを信条とする自分としては、
上のぱふぱふ同様ある程度満足している部分はある。

 

新卒で入った会社に勤めていればそういった経験はできなかっただろうし。
コロナでものすごい苦労が伸し掛かってきたであろうことを考えると、
早めにドロップアウトしてよかったのかもしれない。

 

7.

上で書いたように人生の道草で得た者があるのも事実だったりする。
新しい趣味だったり、人との出会いだったり。
ただの満足感だったり。

 

運が良かったこともある。
例えば挑戦してみたいこと。
これなら自分にもできそうかなと思えることに出会えたこと。

 

これを書いている25~26年目にかけての時期。
それをまだ活動には移せていない。

26年目はそれを目標の一つに加えるのはありかもしれない。

 

8.

人生の道草で死ぬほど後悔したこともあった。正直今もする。
それはまるで、パチ屋でストレートに5万飲みこまれたあの時のような。

 ささみさん…ゔっ!

 

思い出しただけで吐き気がしてきたので話を変えるけど、
それは今後の人生において、
どうにか努力をして自分でリカバリーすればいいだけのお話だと思うのだ。

 

少なくとも、「60で死ぬにしても、あと20数年適当に生きるのか…」
と絶望してカオナシのように呻いていたころよりは前進している。

 

9.

この数年間の停滞は、
「自分が社会不適合者で、軽度の発達障害持ちで、情緒不安定で、馬鹿みたいに高いプライドを持っていて、頭がいいわけではなく、飲みこみも遅く、それでいてかけ事にのめりこみ、でも好きなことにはまっすぐ一途で、集中スイッチが入れば単一作業なら意外と頑張れる自分がいる」
ということに気づくための期間だったのではないか?

 

大きなジグザグを描く無駄足に見えて、実は大きな道だったのではないか?
的な?的な?

 

失ったものも大きすぎるが、その分得たモノも大きい。
と考えれば前に進めないこともきっとない。

 

前に進む手がかりはそこそこ集まったような気もする。
後はそう、踏み出す勇気(ありきたり。

 

10.

人生26年目の目標は、
「27年目も頑張りたいから1年間生きることを頑張る」
にしようと決めていた。1か月くらい前から。

 

漠然とした目標だけど、
何か一つに絞ったところですぐに飽きて手放すのが私なのだ。

これくらい適当で何が悪い。
人生何かがあったとき、今までもたくさん進路を変えてきたではないか。

 

これからもそうするだけ。その都度都度でやり方と行き先を変えていくだけ。

 

26年目にしてまだ
「あやふやなままで わたし わたし 生きている」
といったごみくずクソやろうではあるし。

相変わらず肥大した自意識兼プレッシャーに潰れされる日もありますが。

 

また1年、どうか仲良くしてやってください。

よろしくお願いします。

 

 

またこっちでのブログ執筆もちょいちょい増やすよ。多分。