兼業Pのカタコト語録

デレマスの、エンタメのことや想いやもやもやを文字にする場所。

文字にするむずかしさ、のお話

 どうも、青葉飛鳥です。

 時節はもう年末になり、寒さも増していく一方。

私はといえば、

気のおけない友人たちと出かけたりできるほどにはメンタルが安定してきました。

ちょっと前の、親友と呼べるような人たちに会うのもしんどい状況からは、

見違えるような変化といってもいいかもしれません。

 

 さて本題。

 私は文章を書くのが好きだ。

それはなぜかといえば、自分の頭の中を整理できたり。

その情報をまとめて、自分がどんな人間かを知ることができるから。

 

もちろんそれ以外にもあって。

ブログにして公開したときにたくさんの方が見てくれるうれしさ。

ある種の承認欲求のようなもの。それを、私の場合は文章で満たすことができる。

 

 ただ、”好き”といえる理由がはっきりとわかるものばかりではないのがこの人生。

人から「なぜ好きか」と問われて、答えられないような人も多いはず。

 

 例えば、私は百合マンガが好きだ。好きなんだけど、

その理由をはっきりと文字にすることはできない。

 

「女の子同士がいちゃいちゃするのを見るのが楽しい」とかかもしれないし、

「禁断の恋としての一つの形だから」というのもあるかもしれない。

 

が、多分違う。上に挙げたのはあくまで一般論であって、私の意見ではない。

結果、「好きなものは好きなんだから、なぜといわれてもしょうがない」

という回答に落ち着く。

 

 「好きに理由はいらない」という言葉がある。

賛同したい気持ちはあるが、私としてはどうせならその理由をはっきりさせたいし、

きちんと自分の中で考えたい。

 

その結果を、言葉として、文章として、アウトプットしたいなと思うのである。

 

けれど、いわゆる直感だけで”好き”といえるものは意外と多く。

そういったものをネタにブログの記事なんかを書こうとすると困ることもある。

 

 自分の中で考えることがうまくできていないのか。

そもそも、自分がどういう考え方をする人間なのかを、

よくわかっていないところからのスタートになるのか。

 

 どちらにせよ、深く考えることが大事なことに変わりはないし。

とりあえず、文字に起こしてみようという行動力も大切なのかな、と思うわけである。

 

 嫌いなものについてはいくらでも講釈をたれられるのに、

好きなものについては、

フィーリングによる部分が多くなるのは本当になんでなんだろうか。

嫌いなものについての方が多く語れるとかおかしい。ツンデレかな?

 

 さて、これからもこのブログを書くにあたって。

そういった難しさとたくさん出会い別れ涙を流していくことになるのだろう。

いやそんなわけないか。泣く前に没ネタにするわ、うん。

 

 というわけで、今日はこんなところで。