人と似るのは、よくあることだと私は思う。
例えば肉親とか、または仲の良い友達と。
それはよく行くお店の店員さんかもしれないし。
あるいは、自分の嫌いな人かもしれない。
私の人生経験上、*1自然と誰かに似てしまう。
しかも、その対象を選べた試しがない。
私の場合、自分の嫌いな人物と似てしまうことがある。
「ああなりたくないな」と意識していても尚、似てしまうのである。
そしてなにより嫌なことは。
嫌いな人と自分が似ていることを自覚してしまうこと。
一つ例を挙げてみよう。
元職場にいたとある上司。仮にAさんとしよう。
私は*2Aさんが嫌いになっていた。
当時は「苦手です」なんて言っていたけれど、今になればわかる。
これは好き嫌いの”嫌い”で表せる感情だと。もちろん苦手なのもあるけれど。
私が上司と似ていた*3のは、そのキレ方。
多分皆さんの周りにもこういう人はいると思う。
イライラを隠さず、空気を悪い意味でピリピリさせ。
物にあたり、不機嫌そうにしつつ怒るように叱る人。
似ているといえばしぐさもそうだ。
イライラした時。
「はぁ…なんでこうなるかなぁ…」と呆れたようにつぶやいたそれは。
完全に上司のそれだった。
なぜよりによってあの人なのか。なぜ嫌いな人なのか。
人のせいにしたくはないが、仕事を辞めた原因の1割くらいはその人にある。
そんな人に似る。この事実でまた1回イライラできる。なにも嬉しくない。
嫌いな人に似る原因はわからなくもない。
それは、「あの人が嫌いだ」「あの人みたいになりたくない」
というように頭の中に深く刻まれてしまうからだと思う。
良い事も印象には残るけれど。それ以上に忘れられないのが嫌な記憶だ。
事あるごとに「あんな嫌なやついたなぁ」と思い出していたせいなんだろう。
しかも私の場合、それを誰かに話したりすることは少ない。
ツイッターなんかに書くことはあるけれど、思い切り人の悪口は言わない。
というか言えない。
嫌なことは自分の内にため込んでおく。我慢すればいい。
そんなやり方してるから、イライラした時に隠せないんだろうけれど。
昔、仲の良かったとある人がいる。
その人は、嫌なことがあったら「嫌だ」。「私はそれ気に入らない。」
とスパッと口にする人だった。
いっそのこと私も、そのくらい清々しくなれれば変われるのだろうか。
言いたいことをはっきりと口にしていけば、嫌いな人と似ることも減るのだろうか。
今日もまた、そんなことで悩む。
そして、答えは出ずにもやもやだけが胸の中に沈んでいく。
だからこうして書いた。
少なくとも、読んでいて気持ちのいいものではないのかもしれないけれど。
自分のために書く文章で、誰かが共感してくれたらうれしいよねって。
そんな承認欲求をさらけ出したところでこの文は終わり。