兼業Pのカタコト語録

デレマスの、エンタメのことや想いやもやもやを文字にする場所。

お葬式ビジネスってどうなのよ、のお話

          すごい、まるでDLCのようだ…

                                 青葉飛鳥

 

どうも、青葉飛鳥です。

 

 ついこの間、身内の不幸で葬式を上げることがありまして。

形式はごくごく普通のもので、通夜と告別式がセットになったもの。

 

 私自身は喪主ではないものの、近しい立場にいたために葬儀の段取りを決める場にいたのだが。

 

最近の葬儀のシステムの面白いことよ。そして、葬儀自体の面倒なことよ。

 

 

 

お葬式と面倒ごと

 今回私たちは、たくさんの人にお見送りをしてもらうタイプ。

つまりよくあるタイプの式ではなく。

少人数で執り行う家族葬を選択した。

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 理由はずばり、故人が高齢だったため。呼べる人がいないのである。

いても身体が動かないか、すでに黄泉の住人になっているかの二択だろう。

 

そしてもう一つ。喪主からすれば、多くの人が参加することで起きる面倒を防ぎたかったのかもしれない。

もっとも、私はそのいくらかに巻き込まれることになったが。

 

豊富なオプション

 そういったいかがわしいお店に行くと、

やれキスだのやれお触りだのとたくさんのオプションが用意されていると聞く。

 

なにも葬儀社をピンク色なお店だというわけではない。むしろ黒い、服装的に。

 

 閑話休題

どうも最近の葬儀社というのは故人や遺族の”細やかなニーズ”に対応するため、

かなりの努力を行っているらしい。

 

なぜそんな嫌味な言い方をするかといえば、そのシステムにある。

 

 例えば、故人に着せる服。専門的にはなんというか忘れたが。

これが、一般的な素材なら1万円。もう一段上の素材やデザインのものになると2万やそれ以上になる。

その一般的な素材のものでさえ、白だけでなく緑やピンク、紫から色を選ぶことができる。

 

 さらには、故人が入る棺桶にも選択肢がある。

通常のものに加え、装飾が豪華なものも用意があるようだ。

厳かな装飾で、高級な木材を使用したものなどは20万円ほどしただろうか。

下手したらシモンズのベッドが買える値段である。

 

 六文銭がないからと紙に印刷したものをいれるくらいなら、

レプリカを作るほうにお金を使った方がいいのではと思うのは私だけだろうか。

 

 ちなみに、衣服や棺桶だけではなく。

骨壺やそれを覆う布といったものまでいくつかのグレードが用意されている。

 

 つまり、あなたがなくなる前にあらかじめ相談をしておけば。

いざというときに金色の骨壺にまっきんきんの布をかぶせてもらえるというわけだ。

金次第だが。

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ビジネスに偏りすぎてない?

 これら多数のオプションを見たときに思ったことがある。

「なんか、ビジネス化されすぎてない?」ということ。

 

 私自身、「死んだら適当にお今日あげてすぐに燃やして散骨してくれ」などとのたまっている人間だからかもしれないが。

それにしてもお金を取る方向に動きすぎてはいないだろうか。

 

  企業は営利を求めてなんぼであることは理解している。

けれど、人の生き死ににかかわることだけに、今のありかたに引いている自分がいる。

 

 少し話はずれるが、式をあげる一式を一番安いものにするとどうなるか。

後々棺桶に入れる花が少なくなるなど、見栄えに大きな影響が出てくる。

嫌な言い方をするならこうだ。

「故人様を沢山の花で綺麗に飾り、

あの世にしっかりとおくってやりたいなら金を払え。」

どこぞの詐欺師もびっくりな発言になる。

 

ニーズ充足のため?

 少し考えてみる。

葬儀社が金ぴか骨壺や、20万の棺桶を用意しているというのはどういうことか。

そこに需要があるということになる。

 

 「金色が好きな人だったんだよね。」 「よく紫の服を着ていたわ。」

「花が好きな人だったから、たくさんの花でお見送りしたい。」

 

 もし、葬儀社が本当に普通のプランしか用意をしていないのであれば。

こういった遺族の想いも、故人の願いも無下にされてしまう。

 

 もちろん、葬儀自体が遺族の自己満足であるという側面も否定はできない。

だが、それ以外の面もある。

私は、葬式は故人への想いを伝える最後の機会。

自分の考えをもらえる機会。

そして、普段は会えない、知らなかったような人たちとの縁を繋ぐ場だと思っている。

 

 実際、久しぶりに会った親族にはたくさん心配をしてもらったし、

このタイミングでいろいろなことを始めたり決めたりすることもできた。

 

 余談だが、どうも私は人生で特に忙しく辛い時期と、人死にが被る傾向がある。

その度に、忌引やそれに準ずる形で今の自分を見つめなおすことができた。

上でも書いたが、今回もそのいい機会であると思っている。

 

 

いつまで続くビジネスか

 通夜の際、お坊さんのお経を聞きながら私はそんなことばかり考えていた。

果たして、この葬儀ビジネスはいつまで続くのだろうか、と。

 

 基本料金を安く済ませても、花や食事。故人の衣服や棺桶などでどんどん金額が膨れ上がっていく。まるでダウンロードコンテンツだ。

 

 話は変わるが、ゲームの世界ではこういったDLCは縮小傾向にあるように感じる。

ウィッチャー3のような拡張側コンテンツ。

アンチャーテッドインファマスのような。外伝作品としてのDLCが今のトレンドではあるが。少なくとも葬式業界のそれはまた違うものである。

 

たとえるならそう。僕の大好きなアイドルマスターのような。

 

 今を生きる人たちの一体どのくらいの年代までが。

お葬式をしっかりとあげなければという意識をもっているのだろうか。

一概に年代でまとめられるものではないが、20代はそこまでこだわりがないような気がする。

 

 自分が死んだ後に、わざわざ高いお金でもって葬式をあげてほしいと。

果たしてどれくらいの人が思っているのか。

そもそも、日本は人口減少社会なんだから、葬式の回数自体が減っていくことすら明白なのだ。

 

 〆

 私個人の考えはこうだ。

いくら高い衣をまとっても。いくら高い棺桶を用意しても。結局焼かれるじゃん。なにも残らないじゃん。

 

 やっと骨が残るくらいの高温で熱されて、影も形もなくなるのに。

少なくとも、僕はそんなことのためにお金を使ってほしいとは思わない。

 

 だが、まだ数十年はこういったビジネスは続くのだろう。

もちろん、葬式業界にも変化が見られる。

大きな葬式が減り、家族葬が最近のトレンドだとも聞く。

 

 人が死ぬという事実は変わらない。

なのに、それを取り巻く環境は面白いほど変わっていく。

葬式に限ったことではないが。

 

 果たして、私が死ぬころにはどうなっているのだろうか。